熊谷祐介の備忘録

話すのも書くのも苦手です

南場さんスピーチ

http://www.ustream.tv/recorded/35252739

南場さんスピーチ

・数字が一人歩きする

・マッキンゼーの研修の時に、人間を16のスタイルにわけ、そのスタイルごとにコミュニケーションの仕方を変えるという座学をしたが、キモくて帰国した。

なぜ怒ったのか、人間はとことん多様であるのに、それは16だけにわける意味がわからない。そんな単純ではない。

性別、肌の色。それ以前に、モチベーションの源泉が違う。それをまとめる(マネジメントする)のは大変。お金、技術、カスタマーなどモチベはそれぞれ違うが、自分に向かわず、ことに向かうことで、その仕事、プロジェクトは輝く。モチベの違いを越えて、チームの目標に集中すると、自分のバリューや、自分が周りにどう見られているなんか関係ない。

 

仕事に打ち込むということに集中する。

認められていないと思った時に見る動画。

アメリカでの備忘録6~久しぶりの更新~

すごい久しぶりの更新。

なんか先月まで「あと○○日」で留学終わるとか、言ってたんですけど、「なんか違うよな。」って思って、カウントダウンをやめてけっこう経ちました。

理由としては簡単で、残りの日数を知って得するこことより損することのほうが多いんじゃないかなと思ったから。

一つ目は、日数が経つことに気を取られてしまうこと。僕の場合、日本に帰りたいというよりかは、日本食が食べたくてしょうがない、ってかつけ麺。そんなつけ麺までの道のりを数えることは、修学旅行まであと何日とカウントダウンしているような気分になって、夢につけ麺が登場してくるほど、気が狂ってしまいます。ボールペンはお箸に見えるほどです。

二つ目は、帰国することがそんな大切なことか?と思ってしまった点。確かに仲の良い友達がいて、家族がいて、安心出来る場所があって、母国は良い場所ですが、こっちでやっていることと日本でやることって別に変わらないんじゃないかな。

「この留学期間がすごい人生の糧になる」とかいう人がいるけど、糧になるかどうかは学んだこととか経験したことを活かしてから言えること。

高校の部活、遠征の意義って、遠征先で強くなることじゃなくて、今までやってきたことを実践することと、その遠征後にしっかりと実践経験を活かしていくことだって、高校の顧問が言ってた気がするんだけど、留学も一緒だよね。その遠征で急に強くなるやつって稀にいるけど、基本的には結構無理な話。

留学生活の終了は分岐点でもゴールでもないよね。

できることってたくさんあるはずなのに、単純に「あと何日」とか数えていると、この留学(遠征)生活の10分の1くらいしか残ってなくて、不可抗力的に「こんな短い期間でできることって特になくね。」っていう感情になってやる気がなくなるというサイクル。

要は、残り一日になっても、できることってたくさんあるんすよ。多分。そもそも、第二言語に「もう十分だろう」というハードルって作っちゃダメだよね。

というわけで、結構前に日数を数えることをやめて、目の前の事に集中していました。

真面目だ、おれ…そして風邪をひいた。

アメリカでの備忘録5〜異邦人〜

新年早々、とんでもない毒々しい本を読んでしまったなり。そもそもロスのニューイヤーは大した事なく、1月1日をスタバで過ごすほど暇なのであーる。んで、大学院の文学部の人に薦めてもらった本を元旦から読んでいたら、吐き気がするくらい毒々しかった。

カミュの異邦人。元々、洋書は同じようなフレーズをくどくど表現を変えて書くから大嫌いだったんだけど、フィッツジェラルドのギャツビーとか開始30Pくらいでやめるほど。この異邦人は面白かった。

主人公はほんとさばさばしてて、(僕が読んだ数少ない小説の主人公は半沢とハリーポッター以外、みんなさばさばしてる)だけど、しっかりとした自分を持っていて。

だけど、いつの間にかその自分っていうのは、自分の周りが評価する評判とか分析の集合意識の塊になって、自分の中の自分がなくなっていくという理不尽の話。

自分の語る自分が自分じゃなくて、周りの語る自分が世の中で自分になっていくってことっすね。

あとは主人公が太陽を愛していたこと。大抵の人間は生活を単純化させるために、嘘をつくのに対して、彼はずっと自分の感じたままに事を進めた。それが太陽とどう関係しているのか。彼は本来は影である部分に対して、虚像の光を当てることを相当いやがっていて(んだと思う。)うそをつくこととこれはイコールで、彼は自然、ありのままの燃えあがる太陽が大好きだった。だからこそ「なんでアラビア人を殺した」という質問に対して、「太陽のせいっしょ!」って答えんだろうな。だってそれが真理だったらから。

って一言で片付けられるほど、容易な事ではないけれど、自分の語る自分と周りの語る自分がイコールなんて人はいるんだろうか。とか思ってただただ気持ち悪い正月です。

こんなに気持ち悪くて、気持ちよいのはマトリックスを見た時以来です。

カミュの異邦人、120Pくらいの短い小説なのでみんな読んでみてね。気持ち悪くなるから。

アメリカでの備忘録4〜色々あった色々〜

アメリカの時間で12月29日なんですが、色々と落ち着いたので、久々にブログ書こうかなと思いました。

スリランカのG君からLINEで「なにしてるの?」って言われたので、
「ロスでのんびりしてる」

と返しました。

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埼玉で三本の指に入るくらいスタイリッシュなフレーズを口にできるほど、アメリカナイズしています。

3分クッキングを960回見る

or

48時間クッキングを1回見る

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かで2015年になります。

今年は僕にとってはとてつもなく大切な年でした。

大殺界だったからです。実は2014年は大殺界(停止)の年でした。1月から自分のフィジカルが削りとられました。バイト先で指の根付けをえぐったことで幕開けた2014年。落とした財布には4万円が入っていた。すっからかんになって帰ってきた。フィリピンから帰国後、胃が爆破。原因不明で一日何度も嘔吐。など、数えたらきりがないです

だけど、アメリカに来てなにも起こっていないので、大殺界の効果は日本でしか適用されないらしいことが発覚。

大殺界の日本とは正反対にアメリカ生活では、ほとんどの事がうまくいきました。Credoの編集、執筆、事務作業と授業と大学院試の勉強と飲み会を平行してやれたし。

ただ、アメリカの大学新聞だけはうまくいきませんでした。自分の記事が三回くらい書いて、全て拒否されたのでさすがにおれました。。。論の展開に問題はなく、問題は英語力とトピックを選ぶ能力。トピックとは大学新聞では大学生によまれなきゃ意味ないよね的な考えっす。

つまり、編集長曰く、僕の書いた記事は

「いやー君の論の展開はいいんだけどさ・・・・・・・てめえの選んだトピックじゃPV稼げえねえよバカ、あ?日本人?きめえよ。親指でけえよ。顔黒いだろ。ひげそれよ。」

ということらしいです。

来年からMTSUに留学に来る人で「ジャーナリスト志望」の人とか是非、トライしてみてください。勇気さえあれば、入部することはできますので。僕はアメリカで記事を書く事はまだ無理だと察しました。

色々ありましたが、来年は今年以上に色々ある年になることは確定しているので、楽しみに48時間クッキングをみることにします。では良いお年を。

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だれだよこいつ

アメリカの備忘録3〜良い報告〜

そろそろ秋です。アメリカの南というイメージが強かったテネシーですが、全然寒くてやばいです。来週から5日間秋休みですが、予定があるのかないのかよくわからない状況である。「旅行に行こうよ!」って誘われても、悩むあたりが出不精な自分を表象してますね。俺はなぜ世界一周にいった(というか、行けた)のか自分でも謎です。

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昨日、日本語を少し話せると有名なコーリー先生と2時間ほど話したんですが、「せっかくの一年なんだからいろいろ経験した方がいい!」「遊んだ方がいい!」と豪語していました。半年前一ヶ月だけですが、フィリピン留学にいきました。「せっかくの一ヶ月なんだからいろいろ経験した方がいい!」「遊んだほうがいい!」と自分に言い聞かせてくそほど遊びました、もちろん英語の勉強もしていました(もはや外国人とのコミュニケーションの取り方の勉強)。その一ヶ月の得たことはインターナショナルなノリと楽しい思い出くらいです。英語は一ヶ月ということもありますが、伸びた!という実感すらなかったです。

「楽しい事は思い出。辛い事は経験」というのが僕の持論です。2年前に世界一周して思い知ったことです。それを証明してくれるかのように、最近読んだ本にこんな事が書いてありました。

徳川家康「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と言いました。私は遠い道をいくどころか人生は崖のぼりだと思っています。上るのは苦しいが、その分視界が広くなります。原理主義に頼ることは崖から落ちる事と一緒である。

原理主義者というのはわかりやすい例だと「何でも、楽しければいいっしょ!」ってよく言っている人です。ただ、半沢の上司だった香川照之もけっこう前のAERAで「楽な道と苦しい道があったらどっちを選ぶのか」と聞かれて「苦しい道でしょ。そっちのほうが面白い」と語っていました。

かといって「遊ぶな。」ということでもない。あんまり言葉にできないけど、グレーゾーンが一番幸せそうですよね。どっちにも偏ることなくうまいバランスでやっていくみたいな。しかしながら「楽な人生」は選びません。楽なほうをとったら、僕とって余裕すぎてつまんなそうだし笑

そういえば!先月に「良い報告ができそうです。」というツイートをしましたが、ちょいとお待ちを。ってか隠す必要もないんだけどね。

実は、ミドルテネシー州立大学が運営しているニュースメディア(大学新聞も発行している)で記事を書かせてもらえることになりました。

といっても一つ目の記事は「英語力が幼稚すぎる」と馬鹿にされ、何度も書き直し、アメリカ人の友達にも手伝ってもらって2週間ほどで作り上げたんですけど、入稿直前になって「大学に都合の悪い記事だからこれは載せられない」と顧問のかた言われて、僕の2週間の努力は水の泡と化しました。内容はスモーキングフリーポリシーに対しての批判的な記事だったんですけど、近いうちにこのブログに載せます。

まあでも昨日、新しい記事を書き終え、編集待ちです。今回は香港の傘の革命とアメリカのデモの類似性について書きました。今回も「君の英語は本当にbreakingだね」と馬鹿にされる気がしますが、頑張ります。本来、ジャーナリズム学部、マスコミュニケーション学部の人がメインでやっていて、留学生が書くなんて前代未聞みたいですが、「一年しかないから!ね!お願い!!!」と言ったら書かせてもらえる事に。

ちなみにこのサイトです

Sidelines(http://mtsusidelines.com/)

記事を楽しみにしててくださいね〜。

「僕は君たちに武器を配りたい」瀧本哲史

福沢諭吉「学問のススメ」

→慶応の良さを伝えるための宣伝本。つまりこの学問、勉強ブームは「ビジネスの為に起こした。」しかし、今学歴だけで人に差を付けることはもはや無意味となっている。ここで、従来の大学では学べない「実用的な英語」「ITスキル」などが注目を浴びるようになったが新たな仕掛人が「今の時代は真に必要な知識を得れば、他の人よりも幸せになれます」というストーリーを作り出した。これももちろんビジネス。

「コモディティ化」

→「個性のないものはすべてコモディティ」なのである。どんなに優れていも、スペックが明確に定義できて同じ商品を売る複数の供給者がいればコモディティ化が成立。

計画経済

→計画経済体制を取っている国家(旧ソ連など)は「どこかに神様のような万能な頭の良い人がいて、その人正しい予測をもとに社会が進んでいく」という前提でつくられた社会。ここでいう万能で頭の良い人=官僚のこと。この体制は農産物の生産、食糧の配給などすべて官僚のコントロール下にある、個人が自由意志で関与する事は許されない。そして官僚は自分が予想できない事態について「世の中の方がおかしい」と考える。一方で住民たちは「官僚たちが頑張ってくれているから自分たちは何も考えなくてよい」というようになってしまう。

資本主義

→資本主義の社会でお金を増やす事ができる人は「より少ないコストでみんながほしがるものをつくる人」みんながほしがらないものを必要以上なコストをかけてつくる行為は社会的に無駄になり、淘汰されていく。

労働

→産業が成熟化し、熟練労働者が必要なくなれば、新自由主義といった思想は関係なく、労働者は必然的に買いたたかれる存在になってしまう。

擦り合わせ産業

→日本は試行錯誤しより、良いものをつくろうとする。かつて日産が「100分の1秒から1000分の1秒へ」というキャッチフレーズで自分たちの技術の高さを宣伝した。しかしこれは過ちであった。つまり何に対しても言える事であるが「わからない差異は差異ではないのだ」それよりも「色がたくさん選べる」といったような目に見えてはっきりわかる差異がユーザーにとっては大事なのである。

宮台真司「制服少女たちの選択」

(P、10)「親が悪い」「いや学校が悪い」「なんといってもテレクラやブルセラショップなどの悪徳業者が悪い」「いや、そもそも金儲け主義をはびこらせる消費社会や資本主義が悪い」といったコミュニケーションを社会システム理論では「外部帰属化」という。すなわち、もっとも低いコストでわかりやすい因果帰属をおこない、本質的な意味で自分自身を無害で安全な場所に温存する作法のことである。

(P、9)実際、叱ることで娘は「親は真剣に心配してくれるんだな」という感じるかもしれなし、親は親で「自分はちゃんとしている」という自己意識を保てるんだろう。しかし、叱られた女の子は「それでも」あるいは「それだからますます巧妙に」パンツを売り続ける。それを社会システム理論は「仕方ない事」だと結論付けるのである。

(P、12)かつて親や教師や近所のおばさんが「これこれは悪い」と言った時に子供も「これこれは悪い」と思うようになり得たのは子供たちの身体が存在する場が家や学校や地域社会といった空間に限定されていて、かれらの言う事が「その限定された空間を生きるだれもが言いうること」だったからだ。いまでは親や教師の「価値判断」は伝達されず、たんにそうした価値判断をしているという「事実」だけが伝わる

(P、47)彼女たち(エッチ系のバイトをしている高校生)の「団塊親」は二重の意味で「絶対性」の伝達者として力不足だった。まず彼らの世代がかつて世間や道徳を否定した実績ゆえに親本人が絶対的な道徳を信じていないしすでに世間が消失してしまった現在では彼ら絶対的道徳を説いても信頼されない。

(P、50)女の子たちは自分の将来起こるかもしれないあらゆる「変」についてメディアを使って「それってあるかもしれない」というパッケージの中で無害化することを覚えたのである。

(P、72)父親が確かな存在ではなくったのは、伝統的な共同性の崩壊に基づいており個人のパーソナリティに帰すべき問題ではない。親のパーソナリティには個人差があるにせよ、私たちの社会ではあらゆる外交の支えなくても「確かな」存在でいられるような、ユダヤ・キリスト教的な伝統を通じてしか形成されようのない西欧的な「自我」はまれである。親個人に反省を求めるようなやり方は批判者や親個人の「癒し」として意味があっても問題の「解決」には役立たないばかりか、問題を覆い隠すという意味でかえって有害でさえある。

(P、76)親が頼りにならなくなったのは個人的領域の問題ではなく、歴史的な条件を負っている。である以上、親や周囲に倫理的な「確かさ」を要求する声高な叫ぶをあげてカタルシスを得るのはもうやめて、新たな社会状態がもたらす危険を直視し、現実的かつ倫理的な施策に頭を悩ませてほしい。「倫理から論理へ」それが新しい倫理ではないのか。

(P、84)(エッチ系のバイトをしている女子高生が彼氏に言わない事)私が依拠する社会システム理論の立場からは何が起こっているのか明白である。何もかもが「程度問題」になっているなかで自分勝手につくるあげた仕切りのこちら側に自分がいるという事実を持って「自分はめちゃくちゃではない」という自己イメージを保とうとしている(中略)何が道徳なのか、何が良い事なのか悪い事なのかはっきりしなくて、だから自分がどこにいるのかよくわからないのである。

(P、87)若い連中のコミュニケーションはより小さな単位に分解して閉じてしまい、たがいに無関連・無関心になっていく。最近では中学高校の教室ひとつとっても3〜4人ずつの小集団に分割してしまい、「同じ暮らす」などといった共同性はとうに失われている。こうしら「島宇宙化」の果てにいわば「道徳の消滅」が訪れる。道徳というのは、世間のまなざしによってみずからを規範する作法のことだからである。世間が不透明になり、そのまなざしが感じられなくなってくれば、世間の期待に応じるふるまいは消えていくしかない。

(P、127)「性的なのに、性的であってはいけない身体」という明治三十年代以来の「近代学校教育」的なタテマエ(清く正しく美しく)のなかに安らいでいるという前提があってこそ、「女子高生」が性的ブランドとして意味あるものになっているということである。わかりやすくいえば、性からの隔離ゆえに生じる「落差」が性的コミュニケーションの世界に「女子高生ブランド」を持ち込むことになっているのだ。

(P、136)彼女たちに利用可能な商業的資源をもたらしたのは彼女たち自身ではなく、あくまで彼女たちを観察する周囲の視線である。

(P、142)日本の50年代後半からは3Sを買いさえすれば「アメリカ風の文化的生活が営める」というフィクションが人々を覆い尽くし、60年代後半になると、この商品3Cを買わないと「人並みになれない」というフィクションが席巻した。70年代後半からはこのフィクションが細分化していくことになる。

(P、144)「いったい何でそんなものが欲しいんだ?」という見通しにくさが、「ムダ」という批判的感覚と「豊かさ」という肯定的感覚を同時に高めるのだ。

(P、148)60年代のアメリカには凝集性の高い小集団がいくつも分立した。その結果、社会の見通しはきかなくなり、様々な動機形成が理解しにくくまた理解できても合意しがたいものになった。言説や権力は直進しないで小集団の境界面で屈折し消尽することになった。現場主義はこうしたシステムの複雑化にともなう情報格差を利用するかたちで力を獲得していった。「知識人」が流布させる一方的でのんきな社会イメージを中和する戦略としてもきわめて有効だった。

(P、171)予期理論は人がかならず一定の予期や期待を前提にしながらあれこれ行為したりいろいろ体験したりすることに注目する社会システム理論のひとつの立場である。一般に私たちの行為の帰結は必ずしも期待通りにはならない。特に現在わたしたちのおかれているような複雑な社会システムにおいては予想外の帰結が起きがちになる。それをどのように無害化するか。これは大きな問題である。

(P、172)「自分は女にもてる」と思って口説いたのに、思いのほかうまいいかなかったりするといままでの自己イメージは危機にさらされる。そのために、戦略が重要になってくる
①ミーハー自信家:高度な情報処理能力を用いて、期待水準を自由自在に調整する柔らかいシステム
②頭のいいニヒリスト:期待水準を万事低めに設定する事で、期待はずれからみずからを免疫化するシステム
③バンカラ風さわやか人間:期待水準を万事高めに設定し、期待はずれに際しては規範的に対処するシステム(期待した人間ではなく、失望させた相手が悪いとみなすことで期待水準を変えない)
④ネクラ的ラガード:期待はずれが生じる領域(とりわけ他人の批判的視線をあびやすい対人関係の領域)から退却する非活動的なシステム
⑤友人ヨリカカリ人間:近隣の活動的で目立つシステム(ミーハー自信家)に追随する模倣的なシステム(見かけ上は模倣の相手と見分けがつきにくい)

(P、181)「ミーハー自信家」もまた〈世界〉の有意味化と肯定的な自己イメージの形成に首尾よく成功している側に属する。だが、「バンカラ風さわやか人間」や「頭のいいニヒリスト」とはちがって、「事前的構造化戦略」を採用している訳ではない。この情報処理能力に長けた人格システムにおいては、新人類的な記号的消費と結合した多様な〈物語〉の享受こそが有意味な〈世界〉と肯定的な自己イメージをもたらしている。

(P、205)偶然の出会い、不慮の死、突然の病これらはみな「アノミー(前提を欠いた偶然性)」の例だ。こうした偶然性への直面は日常の疑問のなさを破り前提の欠如故に身構えようもない期待はずれの原因となる。このままでは世界はどうにも不安定だから、前提を欠いた偶発性はなんらかの形で無害化され、受け入れ可能なものへと馴致される必要がある。前提を欠いた偶発性の現れ方は社会システムの形態によって多様変化するし、それを「受け入れ可能にする」という課題に対処するメカニズムも多様な形式をとりうる。この「現れ方」と「対処メカニズム」の組み合わせが現実の宗教のバリエーションを構成するのである。

(P、209)「自分に訪れる相対的な不幸」を個人的に受け入れ可能にするために諸形式が現代的な宗教のバリエーションを構成し始める。

(P、213)世界における包括:世界の側を拡張することで、自己と世界の関係一般が馴致される。そこでは「すべて神から与えられた試練だ」「これは私たちの使命なのだ」といった具合に観念を用いて世界はあらかじめ決められていて、自己の側には極小の自由しかないといった把握がなされる。(終末論的・黙示録的)

(P、214)自己における包括:対照的に。自己の側を拡張する事で自己と世界の関係一般が馴致される。何かがつらいのは、つらい出来事があるからというよりもそれを辛いと感じる自分の境地があるだけだ。(仏教的・自我論的)

(P、226)自己改造セミナーについて。反体制的「主体」主義であるヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントの哲学からの借り物であり、フラワームーブメントやヒッピーカルチャーとも近縁的である。いうなれば自己改造セミナーは「剥奪された主体をみずからの手に取り戻す」ための営みの成れの果てである。

(P、237)文化的な短絡化は短期的にはともかく長期的には記号的なふるまい自体の記号性(かっこよさえを追求することがかっこいいか)を使いつぶす事で新人類的ななものを無効にしたのである。

(P、258)コミュニケーション回路の限定が意味するものは、自己像を維持するべきコミュニケーションを特定の回路に限定することで「予想外の行為の帰結」から身を守り自己像の攪乱を防止することである。オタクはとてもわかりやすい例である。自分の情緒的な・感情的な体験を相手がまるごと受容してくれることを信頼するコミュニケーションが「人格的コミュニケーション」である。西欧コミュニケーション文化の伝統ではたとえば、恋愛や家族関係にみられるような「親密な間柄」においてだけ、こうした信頼を寄せることになるが、とりわけ近世後期以来の日本では「同じ日本人」「同じ会社の社員」などといった「同じさ」(近接性)さえあれば、こうした情緒的受容を相手に期待してしまう。逆に「非人格コミュニケーション」とは個人的人格、属性関係なくきたい通りに信頼するという特徴がある。たとえばそれはマックの店員さんなど。

(P、267)70年代後半からメディアに増殖した女の子の関係性モデルは複雑化していく。現実をモデルのようにあるいはモデルを現実のように生き始めた女の子たちは、そのモデルの中でさまざまな消費社会的なものや舞台装置をとりこむことで80年代へとつらなる高度消費社会化の流れをリードする事になる。

(P、271)過去に、ベトナム戦争と大学紛争を結びつけた時代があった。個別の闘争主題は多様であったのにも関わらず、そこには連帯意識、共同意識が生まれていた。それを可能にしたはブラウン管のなかで戦争でありメディア作り出す「同時性」であった。彼らがもたらす空間的・時間的「疑似体験」こそが「生きられる現実」も共通性をもたらし、共通してあてにできる「積極的な価値体系」の形成を触媒していた。

(P、273)社会学的啓蒙は社会の中にそうした政治的啓蒙屋や宗教的啓蒙屋があふれかえっていることを前提として初めて意味をもつ。